世話を焼きたがる人
世話を焼きたがる人。
自分はなぜか、そんなに優しくする必要のない人(あんまり関わったことに人とか)に優しくしてしまうことがある。優しくしたいと自発的に思っていなくても、優しくしなければ相手が悲しむなと感じると反射的に優しくしてしまう。
反対に自分も世話を焼かれ過ぎて、しんどいことが過去にあった。
自分の意思ではなく、反射的に他人を優先させてしまうのだ。
その気持ちを観察すると、表面では「他人のため」と言っているが、
決してそれは他人のためではないことがわかる。
自分が尊敬される人間でありたい、優しい人だと思われたい、人格者だと思われたい、といったような気持ちがあるのだ。
もしくは嫌われたくない、相手の傷つく顔を見たくない、その瞬間のストレスを感じたくないのである。
結局は自分のためである。
なぜ私が疑問を持つようになったのか。
それは、やりたくないのに世話を焼いてしまうことに関して自分に嫌悪感を感じたからだ。
世話を焼いたことを誇りに思い、それを周りにひけらかしている自分に気づき、嫌気が差した。
本来、本当に相手のためを思っているならば、見返りなど求めないはずだ。その事実を話して、周りの人の賞賛など求めないはずだ。
以前も「本当の優しさ」で書いたように、
さりげなく、気づかれないような優しさであるはずだ。
同じ親切でも、気づかない親切であるはずだ。
相手に全く罪悪感を感じさせないような、優しさであるはずだ。
これに気がついたときに、なんともいえない感覚だった。
こちらの動画にある「強迫的世話人」というのを見つけたことで、
その疑問の答えがわかった気がした。
この記事もすごく参考になった。
親切はときに気をつけないとその人の力を奪ってしまうことになる。
優しくすることで、自分で解決できない人にしてしまうこともある。
愛だと思っていたのが依存だったこともある。
自分の中での愛の定義を「愛とは依存や心配ではなく自立」だと変えていこう。
すぐに変わることは難しいかもしれないけど、
世話を焼きすぎる自分を責めずに、そんな自分も大事にして、
少しずつ少しずつ行動していこう。
①無理に役に立とうとし過ぎないこと
②相手が求めたときだけアドバイスをすること
③自分の気持ちを大切に、自分の声を聞いてあげること
ちょっとずつ変化していって、
私も私と関わってくれる人たちも幸せにできますように。